宗派に関する質問?

天台宗の歴氏


 天台宗の起源は、中国の高僧・智が興した中国天台宗に在ります。智は釈迦の教えを五つの時代に、経典を八つの体系に分類し、これらを「五時八教」としました。また智は「五時八教」の中の第五時に分類した「法華・涅槃時」の「法華経」を説く事こそ、釈迦がこの世に現れた理由と考え、「法華経」を中心とした天台教学を成立しました。
 日本の天台宗は、804年に唐に留学した最澄が帰国後、「円(天台教)」・「密(密教)」・「禅」・「戒」の四宗を融合させる事によって誕生しました。
 その後、朝廷が密教に関心を持った事で桓武天皇の庇護のもと、天台宗の元となった四宗の中でも「密」の充実が課題となるも、直後に真言密教を修めた空海が唐より帰国したことで天台宗の密教を「台密」、空海の伝えた真言密教を「東密」と称されるようになりました。
 最澄の没後も第四祖の円仁や第六祖の円珍らが布教に尽力するも、両者の弟子の間で対立が生じ、円珍の没後、比叡山を下りた円珍派が園城寺(三井寺)に拠点を移したことで、天台宗は山門派(円仁派)と寺門派(円珍派)にわかれる事になった。
 その後も浄土教学や念仏を取り入れることで復興を図るも細かく分裂し、追い討ちを掛ける様に比叡山が織田信長に焼き討ちに遭い衰退の一途を辿っていたが、徳川幕府成立に大きく関わったとされる天海和尚の登場により天台宗は復興され今日に至っています。


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