臨済宗は宋に留学し臨済禅を学んだ栄西によって広められた宗派である。
栄西は最初、九州を拠点として日本初の禅寺である聖福寺を建立した。その後、京都でも布教活動を行おうとしたが、新宗教という事もあって既存の宗派の反発にあい禅宗停止の命令を下される事になる。そのため拠点を幕府のあった鎌倉に移し、鎌倉幕府の後ろ盾を得たことで宗勢を高めていきました。
源頼家の寄進によって京都に建仁寺が建立された後も禅宗に対する反発は残っていました。そのためこの時代の禅宗は、天台宗や密教の教えも取り入れることで反発を和らげ、禅宗の布教に努めました。
鎌倉時代も半ばになると宋から蘭溪道隆などの禅宗の僧が来日し、禅宗の教えも広く知られる用になった事もあり天台宗や密教の教えを取り除いた禅の教えのみの臨済宗に戻ることとなりました。
室町時代には朝廷・幕府の両方から庇護を受けた事で臨済宗は全盛を迎えましたが権力者の衰退に伴い宗勢は弱まる事になりました。
今日の臨済宗は、権力者達とは関わりを持たず修行に努め、権力者達と伴に臨済宗が衰退した際に復興に尽力した応燈関の流れをくむ白陰慧鶴によって確立されたものだそうです。
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